全国報道直後から半年間は、医療事故関連の記事が何度も新聞に掲載された。
しかし、件数以外の内容が公表されることはなく、市民の中には「予後が悪かっただけで、たいした話ではない」と考え始める人も少なくなかった。
新体制発足直後、強力な市民病院応援団が町にやって来て講演会を開いた。
講演者は、市民病院に対して最大限の賛辞を捧げ、聴衆は拍手喝さいした。
そして、事故から約3年が過ぎ、医療事故問題はうやむやにされようとしていた・・・。
全国報道直後から半年間は、医療事故関連の記事が何度も新聞に掲載された。
しかし、件数以外の内容が公表されることはなく、市民の中には「予後が悪かっただけで、たいした話ではない」と考え始める人も少なくなかった。
新体制発足直後、強力な市民病院応援団が町にやって来て講演会を開いた。
講演者は、市民病院に対して最大限の賛辞を捧げ、聴衆は拍手喝さいした。
そして、事故から約3年が過ぎ、医療事故問題はうやむやにされようとしていた・・・。
前院長の立派さでもあり弱点でもあったのは、彼が一人で戦った事だ。
これからは一人一人が細胞となり集合体の一部となるのだ。何事も組織で立ち向かうのだ。
新体制が発足した。
最大の悲劇は、竹田くんの医療事故が社会的に大きな意味のある事件だと言う認識が彼らには欠いていた事である。
院長が定年退職を迎え病院を去る事となり、院長交代の記者会見が行われた。
新たに3件の医療事故を認めたが、詳細については「係争中なので回答できない」と答えるしか無かった。
思えば退職までの半年は孤軍奮闘の日々・・・院内政治において政治力を背景に持たない院長の悲劇であった。
記者「外部委員会はどこまで検証するのですか?」
※この時点で外部委員会は検討段階
院長「来年度になりますが、全ての事故を検証して過誤かどうかも見てもらいます。追加された3件も・・」
事務局長「何も決まっていません!」
医師であり院長である人物の発言を事務局長が遮る。
この日の会見は、院長と事務局長の不協和音が目立った。
更新履歴 6/29 0:30 誤字訂正「不協和音」※ご指摘ありがとうございます。
地元B新聞社は手術禁止中に起きた問題を、地元A新聞社は肺挫傷の事故を追及していた。包囲網は狭まっていた。
その場しのぎの方便では通用しないと判断したのだろうか?
最初の医療事故から2年半後、正規のメンバーを揃えて院内事故調査委員会が開催された。
その結果、手術禁止中の肺挫傷の事故を含む3件の医療事故が追加されることになった。
出席者の日常業務の合間に2度開かれたに過ぎない会合で、10件以上の医療事故の個別検証など物理的に不可能であろう。「原因究明や再発防止策、訴訟対策が議論の主題であり、過誤か事故かを検証したのではない」(事務局長談)過誤1件の結論は変わらなかった。出席者の1人は「ほぼ雑談でした。」と語っている。
病院の名誉のために言っておく。過去において・・・・いくつかの医療事故(被害者が職員や職員の家族であった事故)については、病院は迅速で手厚い対応をした事が院内では知られていた。
県内新聞C社の記事に「市民病院が外部委員会で医療事故を検証へ」との記事が載る。
市長の発言が記事化されたのだ。
市長「医療事故などを検証」
事務局長「医療事故などの対応を検証」
※同じ日の発言なのに、「事故を検証」と「対応を検証」で2人の発言内容がまったく異なっている。
案の定、その後トーンダウン。そして市民病院は、大学教授が率いる委員会で「1年かけて医療事故の再検証が必要か否か」を検証すると言い出した。市民はわけがわからなかった。
そもそもこの時点で最初の事故から2年半が経過している。委員会が結論を出すころには3年半である。生存患者は減少の一途をたどっている。
1年後に委員会が出した結論は「再検証の判断は病院がするもので委員会はその判断をしない。」というものだった。
迅速な検証を行わないから起きた医療事故多発事件なのに、事実解明はさらに遠のいたと言わざるを得ない。
地元A新聞社が取材を進める過程で、竹田くんが在籍中から新天地でバイトをしていたのではないかという疑惑が浮上する。
遅刻早退・無断欠勤の常習犯の竹田くん。手術禁止中に他病院で許可なきバイトをしていても処分されなかったのか?
地元A新聞社・編集長は、病院職員に「脳外科医がバイトしていたとの情報がある」と尋ねる。すると病院職員は竹田くんの事として回答する。病院の回答は「承知していないから黙認していない。退職したので確認不可能。」
ちなみに1年後に流出した『秘密の作戦会議』(個別検証を行ったと称する会議)の議事録には、病院が他病院でのバイトを把握していた記述がある。
全国報道を受け竹田くんの患者からの問い合わせが増え始めた。
市民病院を怖いと思う人々が増え、救急車の搬送の際に「市民病院だけはやめてくれ」と懇願する人まで現れる始末。
病院関係者は、竹田くんとの戦いでは患者との連帯意識(同じ被害者意識)を持った。だが、病院が批判の的にされると別の感情が芽生え始めた。
研修医の派遣にも影響が及び、市議会では「院長は記者会見を開くべき」と主張する議員の姿も。
地元A新聞社は、当時の医療関係者に取材し「個別検証の会議には参加していない」との証言を得る。それを記事にする。つまり医療事故調査委員会は開催されていないのだ。ところが議会では、市長や市民病院の事務局長が「委員会に準ずる会議を開いていた。議事録もある。」と答弁する。
この会議の議事録は1年後に地元A新聞社が入手し報道した。それは、あのパワハラ訴訟対策の秘密の作戦会議の議事録だった。そこにとって付けたように「一件ずつ検証を実施」という個別検証の記述がある。個別検証の中身の記載はなく「一件ずつ検証を実施」とだけ書かれている。これが医療事故検証の議事録と言えるのだろうか?
しかもその会議には3人の脳外科医は誰も参加していない。しかも、開催された事やその結果すら知らされていなかった謎の会議なのだ。もしかして医療事故の被害者たちは「一件ずつ検証を実施」という一行の記載のみで、過失なしと判定されたのだろうか?
赤池市の公報によって、大手メディアの記者は、医療事故の全件で外部検証が行われ、その結果、医療過誤が1件であったという認識を持ってしまう。そして、その認識が記事化された。しかし、事実とは異なり誤報である。
院長が4か月前の記者会見で口走った「過誤は1件」との発言に沿って、公報を用いた印象操作が行われたのだろうか?後に、市と市民病院は外部検証を3件しか行っておらず、『医療過誤一件』は院内の結論と認める事になる。
だがこの時点では、地元A社の編集長ですらも「こんな重大な事でウソの発表を流すわけがない。外部検証は全件で行われたのだろう。」と考えていた。この筋書きが崩れ始めたのは学会の介入によってである。
2本目は動脈に挿入したつもりだったが誤って再度静脈へ挿入してしまう。
事態を打開しようと思いっきり引き抜いたところ・・・
プチッ!「あれ?」管が引きちぎれて一部が体内に残ってしまった!!
手技が乱暴で、普通は起こり得ない事故だった。
この医療事故は『医療過誤』という扱いになっているそうだ。
この頃、竹田くんのプロフィールが病院HPからひっそりと消え、
数年後、契約更新されず他の病院へ移った。
提訴を受け市民病院では箝口令が敷かれた。
裁判以外の竹田くんの事(他の医療事故や勤務態度など)について何を質問しても、病院の回答は決まっていた。
「訴訟に関わる事なので回答は控えさせていただきます。」
一件の医療事故の訴訟を理由に、他の全ての医療事故や竹田くんの不祥事について説明義務が無くなる魔法の言葉として、マスコミ対応や市議会などあらゆるシーンで多用された。
一般市民はそれで煙に巻けるだろうが、学会が大量医療事故の発生をうやむやにするはずはない。なぜならそんな事に加担したら医学の信用が崩壊するからだ。学会は幸い、この時点ではA社の報道に気づいていない。だが、大手メディアが報じれば必ず事件を知るであろう。それはもはや時間の問題だった。
メディアで報道されてはじめて事件を知るなど学会から見ればありえない事だ。
誰が見ても大手メディアの報道の前に事実を知らせるべきだったのに、病院上層部はいったい何を考えていたのだろうか?
学会に対してそんな不義理をすれば、(滋賀の某病院の例のように)最悪の場合、大学医局の医師の一斉引き上げが起こりうるのだ。